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Ash Againの歌詞和訳からGawr Gura(がうる・ぐら)の卒業理由を考察

VTuber界の象徴的存在であるがうる・ぐら(Gawr Gura)が、2025年5月1日をもってホロライブEnglishを卒業することを発表しました。

彼女の最後のオリジナル楽曲「Ash Again」は、彼女の想いやメッセージが込められた作品として、多くのファンの注目を集めています。

本記事では、海外の配信者やVTuber、コミュニティーを参考に歌詞の解釈や、そこから考えられる卒業理由について考察します。

注意:翻訳や考察には個人的な解釈が含まれるため、あくまでも参考程度にご覧ください。

Ash Againの歌詞和訳考察

海外の配信者やVTuber、コミュニティーを参考に歌詞を和訳、解釈してみました。

指示語(例:they,it,weなど)の対象を何にするかで意味合いが変わるので解釈の仕方は人それぞれになると思われます。

本心は、彼女にしか分からないと思われますが、ここでは一つの解釈として解説していきたいと思います。

[Verse 1] Aメロ1

出典:YouTube

Face to face with time again

We walk once more to the end

Burn it down, burn it down

Waves can’t put out my flame

Death will never write my name

Burn it down, burn it down

和訳

再び時と向き合い

私たちはまた終わりへと歩む

燃やし尽くせ、燃やし尽くせ

波ごときじゃ私の炎は消せない

死ですら私の名を刻むことはない

燃やし尽くせ、燃やし尽くせ

“Face to face with time again / We walk once more to the end”
(また時間と向き合いながら / 再び終わりへ歩き出す)

活動状況との関連

この冒頭部分をがうる・ぐらさんの活動休止と卒業発表という文脈と強く結びつけて解釈しています。

「時間との再対峙の意味」

  • 長い活動休止期間を経て、卒業という明確な「終わり」が設定された状況。
  • これにより、再び時間の流れ、特に終わりまでの期限(リミット)を強く意識せざるを得なくなったことを表していると考えられます。
  • これは漠然とした時間ではなく、ゴールが設定された具体的な時間との向き合いを意味します。

Mythメンバー、アメリア・ワトソンとの関連

  • 「時間 (time)」というキーワードから、同じホロライブEnglish -Myth-のメンバーでタイムトラベラーであるアメリア・ワトソン (Amelia Watson) を意識している、という解釈も広く共有されています。
  • これを単なる偶然ではなく、Mythとしての物語やメンバー間の繋がりを意識した表現と見られます。

「再び終わりへ歩き出す」の意味

  • 「再び (once more)」という言葉は、これが初めて経験する「終わり」ではないこと、あるいは避けられない運命やサイクルの一部であることを示唆しています。
  • VTuberとしての活動の区切りだけでなく、より深い意味でのサイクル(例えば転生を示唆?)を読み取る声もあります。
  • 「We (私たち)」が誰を指すのか(彼女自身とファン、彼女の内なる自己など)は議論がありますが、共通して避けられない終着点へ、覚悟を持って進み始めたというニュアンスが感じ取られています。

“Burn it down, burn it down”
(燃やし尽くせ、燃やし尽くせ)

このフレーズは楽曲全体を貫くテーマであり、冒頭での登場は強い決意表明として受け止められています。

破壊と決別

  • 何を「燃やす」のか具体的には示されていません。
  • しかし、過去のしがらみ、期待、プレッシャー、あるいはVTuber「がうる・ぐら」として築いたもの(ペルソナやイメージなど)の一部を、自らの手で破壊し、決別するという強い意志の表れだと解釈されています。

再生への序章

  • 単なる破壊行為ではありません。
  • タイトル「Ash Again (再び灰に)」が示すように、これは「灰」の中から再生するための必要なプロセスの始まりを告げる言葉だと捉える見方が主流です。
  • 終わりに向かうだけでなく、その先にある再生を見据えた行動を示唆しています。

“Waves can’t put out my flame / Death will never write my name”
(どんな波でもこの炎は消せない / 死神が私の名を書くことはない)

この対比的な表現は、逆境に対する彼女の不屈の精神と、VTuberとしてのイメージを超えた本質を示すものとして解釈されています。

逆境への抵抗 (Waves can’t put out my flame)

  • 「Waves (波)」は、彼女のサメというコンセプトと関連しつつ、ここでは困難、批判、外部からの圧力、あるいは彼女を飲み込もうとする力の比喩として広く理解されています。
  • 対する「my flame (私の炎)」は、水と相反する要素であり、彼女の内なる情熱、意志、魂、消えない核となる自己を象徴していると捉えられます。
  • どんな困難も、彼女の本質的な輝きを消すことはできないという力強い宣言です。

死を超えた存在 (Death will never write my name)

  • 「Death (死)」は、文字通りの意味やキャリアの終焉を示唆すると同時に、Mythのメンバーである森カリオペ (Mori Calliope) を強く意識した表現だとされます。
  • 死神であるカリオペでさえ、彼女の「名前 (name)」、すなわち彼女の本質、魂、存在そのものを完全に消し去る(=死者のリストに名を書き記す)ことはできない、という非常に強いメッセージと受け取られています。
  • これは、Mythメンバーとの深い絆を示すと同時に、VTuber「がうる・ぐら」という存在が終わっても、彼女自身の核は存続するという意志表明(あるいは転生を示唆)として解釈されます。

“Burn it down, burn it down” (2回目)

  • 最初の決意表明を再度強調するものです。
  • 困難 (Waves) や終わり (Death) に直面してもなお、自らの意志で道を切り開くという揺るぎない覚悟を再確認し、このパートを力強く締めくくっています。

[Pre-Chorus] Bメロ

出典:YouTube

They say the memory of me is fading

I’ve heard it all before

Don’t tell me everyone around is waiting

和訳

奴らは言う、私の記憶は薄れていると

そんなことは聞き飽きた

周りの誰もが待っているなんて言わないで

“They say the memory of me is fading” (「お前の記憶は薄れていく」と奴らは言う)

They (やつら)」は誰か?

様々な意見がありますが、主に以下の可能性が考えられています。

  • アンチや批評家: 活動休止中に「人気は落ちた」「忘れられている」など否定的な声を上げていた人々。
  • 業界のプレッシャー: VTuber業界における「活動し続けなければ忘れられる」というプレッシャー(運営内部の声を含む可能性も)。
  • 一部のファン (広義のプレッシャーとして): 悪意はなくとも、「早く戻ってきてほしい」という声が結果的にプレッシャーとなっていた可能性。

「記憶が薄れる」の意味

  • 文字通り、人々の記憶から彼女の存在や影響力が薄れること、つまり「忘れ去られることへの恐怖」や、それを煽る外部からの言葉を指すと解釈されます。
  • ネットエンタメ界では活動頻度が人気維持に直結すると考えられがちで、彼女ほどの人気があれば、そのプレッシャーは計り知れなかっただろうと推察します。

“I’ve heard it all before” (そんな台詞は聞き飽きた)

繰り返される言葉への疲弊

この一文は、「忘れられる」という指摘やプレッシャーが一度ではなく、長期間繰り返し彼女に向けられてきたことを示唆しています。

精神的な消耗

彼女の深い疲弊感や、そうした言葉に対する諦めにも似た感情があったと推測されます。

「聞き飽きた」という表現は、単なる反論ではなく、外部の声がいかに彼女の精神を消耗させていたかを物語ると受け止められています。

これは彼女が抱えていたストレスの大きさを示す重要な一節と捉えられています。

 “Don’t tell me everyone around is waiting” (「みんなが君を待っている」なんて言わないで)

期待という名のプレッシャー

ファンが待っているという事実は、一見励みになるはずです。

しかし、この文脈では、その「待っている」という期待そのものが重荷になっていたことを示唆しています。

善意のプレッシャーの拒絶

これはファンを拒絶しているわけではありません。

「みんなが待っているんだから(早く戻れ、期待に応えろ)」というプレッシャーにつながる言葉を、今は聞きたくないという悲痛な叫びとして受け止められています。

自己決定への意志

復帰を望む声(たとえ善意でも)が、かえって彼女を追い詰めていた可能性があります。

外部の期待に応えるためではなく、自分自身のペースや意志で物事を決めたいという気持ちの表れとも解釈できます。

「待っている」という言葉によって自分の決断が外部の期待に縛られることへの抵抗感を示しているのかもしれません。

[Chorus] サビ

出典:YouTube

And they all say

Tear it down, burn it down

And they’ll all pay

When I tear it down, burn it down

When the world falls through

And all is ash again

While you all pretend

If this is the end, I’ll do it again

和訳

そして奴らは皆言う

「壊してしまえ、燃やし尽くせ」と

そして奴らは皆、報いを受けるだろう

私がそれを壊し、燃やし尽くす時に

世界が崩壊し

全てが灰と化す時

お前たちが皆、白々しく振る舞う(フリをする)間に

もしこれが終わりだとしても、私はまたやり直す

“And they all say / Tear it down, burn it down / And they’ll all pay / When I tear it down, burn it down”
(やつらは言う「壊せ、燃やせ」と / そしてやつらは報いを受ける / 私が全部ぶち壊し、燃やし尽くしたときに)

「やつらは言う (And they all say)」の二重性

  • 一つは、外部(アンチ、プレッシャー等)が彼女に「もう終わりだ」「壊れてしまえ」と否定的な言葉を投げかける状況
  • もう一つは、より重要視される解釈として、彼女がその否定的な言葉(「壊せ」「燃やせ」)を逆手に取り、自らの行動原理として宣言しているという見方。
    「お前たちがそう言うなら、私が自分の意志で全部壊し、燃やし尽くしてやる」という、主導権の奪還を示すと解釈されます。

「報いを受ける (they’ll all pay)」の意味

  • 単純な復讐ではなく、「(私の行動の)結果を受け止めることになる」というニュアンスで捉えられることが多いです。
  • 彼女が自らの意志で現状 (it) を破壊し燃やし尽くす(=卒業し新たな道を選ぶ)ことで、彼女を追い詰めた「やつら」は、その結果(彼女の不在、自分たちの間違い、彼女の新たな成功など)を目の当たりにし、ある種の「代償」を払うことになる、という解釈です。
  • これは彼女の行動の正当性や影響力を示す言葉と見なされます。

主体性の強調

私が (When I) tear it down, burn it down」と、行動の主体が明確に「私」であることが強調されています。

外部の力に屈するのではなく、自らの選択で状況を動かすという強い意志が示されており、非常に重要視される点です。

“When the world falls through / And all is ash again”
(世界が崩れ落ち / すべてが灰に還るとしても)

この部分は、破壊の規模とその先にあるものを示唆しています。

「世界 (the world)」の多義性

  • 彼女自身の世界: VTuber「がうる・ぐら」としての活動、キャリア全体。
  • 彼女が属していた世界: ホロライブやVTuber業界。

彼女の卒業がこれらの「世界」に大きな変化をもたらし、ある意味で「崩壊」(あるいは大きく変容)させる可能性を示唆していると解釈されます。

「再び灰へ (all is ash again)」

  • タイトルと直結し、破壊が終わりではなく、再生のためのプロセスであることを強調します。
  • 海外ファンはここに、不死鳥(小鳥遊キアラのモチーフと関連づけられることも)のイメージを重ね、燃え尽きた灰の中から新たな形で再生するという循環的 (cyclical) なテーマを読み取ります。

“While you all pretend / If this is the end, I’ll do it again”
(君たちが白々しく振る舞う(フリをする)限り / もしこれが終わりでも / 私はやり直す)

「白々しく装う (pretend)」

非常に示唆に富むラインです。

  • 多くのファンが卒業を悲しむ一方で、彼女の「転生」や別名義での活動再開を期待・確信している状況を指しているとされます。
  • つまり、「(本当は転生を知っている/期待しているのに)悲しいフリをする」という、VTuber文化特有のメタ的な状況を彼女自身が認識し、少し皮肉を込めて言及しているのではないか、という見方です。

「もしこれが終わりでも、私はやり直す (If this is the end, I’ll do it again)」

  • この楽曲、そして彼女の状況における最も力強い宣言の一つです。
  • たとえ「がうる・ぐら」としての活動がここで「終わり (the end)」を迎えても、彼女自身の本質や活動意欲は消えず、何度でも立ち上がり、新たな形で「やり直す」という、絶対的な再起力 (resilience) を示しています。
  • これはファンにとって、未来への希望や彼女の存続を約束する、非常に重要なメッセージとして受け止められています。

後に出る[Chorus] の共通点を押さえておきましょう。

[Chorus] サビの基本的な解釈(共通認識)
  • 外部への対峙と主体性の宣言: 「They (やつら)」が言う否定的な言葉を逆手に取り、自らの意志で現状 (it) を破壊し、燃やし尽くすという強い決意。
  • 結果の受容: その行動の結果として、「They」は報いを受ける (pay)、つまり彼女の決断の影響を受け入れざるを得なくなる。
  • 再生への意志: タイトル「Ash Again」と連動し、この破壊が終わりではなく、再生のための必要なプロセスであるという根本的なテーマ。

[Verse 2] Aメロ2

出典:YouTube

Voices rise in my head

The hands that pull at my thread

Let them drown, burn it down

Wait for wash in the tide

In the abyss is where I will hide

Let them drown

Burn it down

和訳

声が頭の中で湧き上がる

私の糸を引く手

溺れてしまえ、燃やし尽くせ

潮が洗い流すのを待つ

私が隠れるのは深淵の中

溺れてしまえ、燃やし尽くせ

“Voices rise in my head / The hands that pull at my thread”
(頭の中で声が鳴り / 糸を操る見えない手が絡む)

内面化されたプレッシャー

この冒頭部分は、外部からの圧力が内面化され、彼女自身を苦しめている状況を描いていると広く受け止められています。

「頭の中の声 (Voices rise in my head)」

  • 単なる比喩ではなく、不安、自己疑念、外部からの期待や批判が絶えず頭の中で反響している状態を示唆していると解釈されます。
  • Verse 1の「They (やつら)」の声が、彼女自身の思考の一部となってしまっているような、精神的な負担の大きさを物語っています。

「糸を操る手 (The hands that pull at my thread)」

  • 自分が操り人形のように感じている状態、自分の人生やキャリア (thread) が他者 (hands) にコントロールされている感覚を表しているとされます。
  • 「手」の主は、運営、ファンからの過度な期待、業界のプレッシャー、あるいはVTuber「がうる・ぐら」というペルソナそのものかもしれません。
  • いずれにせよ、自己決定権 (agency) を奪われているという苦悩が強く表現されています。

“Let them drown, burn it down”
(沈めてしまえ / 燃やし尽くせ)

明確な拒絶と破壊

ここでは、苦しみの原因(頭の中の声、操る手)に対する明確な拒絶と破壊の意志が示されます。

「沈めてしまえ (Let them drown)」

  • 「Voices」や「Hands」といったネガティブな要素を拒絶し、葬り去るという強い意志。
  • 「drown (溺れさせる)」という言葉は、彼女のサメというモチーフと結びつき、自らの領域(海、あるいは精神世界)からこれらの有害な要素を排除するという、パーソナルな意味合いを持つと解釈されます。

「燃やし尽くせ (Burn it down)」

  • サビでも繰り返されるこのフレーズは、ここでも現状を破壊し、リセットするという決意を強調します。
  • 内なる声や操る手も、外部の状況 (it) と同じく、燃やし尽くすべき対象と見なしています。

“Wait for wash in the tide / In the abyss is where I will hide”
(潮に洗われるのを待つ / 深淵こそ私が身を潜める場所)

破壊後のプロセス

破壊的な行動の後に、一時的な退避と浄化のプロセスが示唆されます。

「潮に洗われるのを待つ (Wait for wash in the tide)」

  • 行動 (burn it down) を起こした後の混乱や余波が、時間の経過 (tide) とともに自然に収まるのを待つ、という静かな姿勢を示していると解釈されます。
  • 感情的な浄化や、状況が落ち着くのを待つ期間を意味するのかもしれません。

「深淵に身を潜める (In the abyss is where I will hide)」

  • このラインは、 一伊那尓栖 (Ninomae Ina’nis) との強い関連性をもって受け止められています。
  • 「Abyss (深淵)」はIna’nisの中心的テーマであり、彼女が象徴する安全な隠れ家、理解ある場所を示唆しています。
  • つまり、外部の喧騒やプレッシャーから逃れ、精神的な安息を得るために、一時的に身を隠す場所として「深淵」を選んでいる、という解釈です。
  • これは単なる逃避ではなく、信頼できる仲間(の象徴する概念)のもとでの休息と回復を意味すると考えられます。

“Let them drown / Burn it down” (2回目)

最後にこのフレーズが繰り返されることで、内なる葛藤に対する決意と、安息を求める行動の正当性を再確認し、このVerse 2のテーマを力強く締めくくっています。

[Chorus] サビ(2回目)

※歌詞和訳は繰り返しのため省略。

内面も含めた決意の再確認

 Verse 2で内なる苦悩が描かれたことで、このサビは単なる外部への反抗だけでなく、自分自身の内にある迷いや弱さも含めて「燃やし尽くす」という、より深く、個人的な覚悟を示すものと解釈されます。

困難を乗り越える意志

一時的に深淵 (Abyss) に身を潜めた後、再び立ち上がり、戦う意志を固めたことを示す力強さがあります。

決意が揺らいでいないことを再確認する意味合いが強いです。

より冷静な覚悟

 1回目のサビにあった怒りやフラストレーションに加え、状況を理解した上での冷静さや、避けられないことへの覚悟といったニュアンスが加わった可能性もあります。

[Bridge] Cメロ

出典:YouTube

We swim against the current’s aim

In dark, we change as smoke returns to rain

Navigating sunken depths and all of its debris

And no more hands upon my words, they only speak for me

For all the ones who try to silence thunder

I’m the wave that pulls you down and under

Every day, I’ll stand with me, and I’ll fight the drought of shallow sea

As ships sail winds of jealousy, I’ll listen carefully (Let it all burn down)

和訳

私たちは流れに逆らって泳ぐ

闇の中、私たちは変貌する、煙が雨へと還るように

沈んだ深淵とその瓦礫の中を進む

もう私の言葉を誰にも操らせない、言葉は私自身を語るのみ

雷鳴を黙らせようとする全ての者たちに対して

私こそがお前たちを引きずり込み、沈める波だ

毎日、私は自分自身と共に立ち上がり、浅い海の渇きと戦う

嫉妬(あるいは執着)の風を受けて航行する船がある中、私は注意深く耳を傾ける(すべて燃え落ちてしまえ)

“We swim against the current’s aim / In dark, we change as smoke returns to rain”
(私たちは流れに逆らって泳ぎ / 闇の中で変わる 煙が雨へ還るように)

明確な転換点

このラインは、楽曲の明確な転換点として解釈されます。

「私たち (We)」への変化

  • これまで「I (私)」対「They (やつら)」の構図が主でしたが、ここで「We」が登場します。
  • これは、彼女自身と、彼女の決断を理解し共に行くファンとの連帯を示唆していると広く受け止められています。
  • あるいは、彼女の内なる自己(異なる目の色のぐらなど)が完全に統合された状態を指すのかもしれません。

「流れに逆らう (Against the current’s aim)」

既存のシステム、期待、ホロライブやVTuber業界の主流 (current’s aim) から離れ、独自の道を進むという明確な反逆・独立の意思表示です。

「闇の中で変わり、煙が雨へ (In dark, we change as smoke returns to rain)」

  • 闇 (dark)」は変化や移行の過程、未知の領域を象徴します。
  • 「煙 (Burn it downの結果) が雨 (生命の源、海へ還る) へ」という比喩は、破壊 (燃焼) が終わりではなく、自然な循環の一部であり、新たな形への再生・変容へと繋がることを強く示唆しています。
  • これは「Ash Again」のテーマである破壊と再生を美しく表現しており、この自然の摂理のような描写に深い意味が感じられます。

“Navigating sunken depths and all of its debris”
(沈んだ深みとそこに散らばる残骸を掻き分け進む)

再生への道筋と困難

再生への道筋と、そこにある困難が描かれます。

「沈んだ深み (Sunken depths)」

再び一伊那尓栖 (Ina’nis) のモチーフである「深淵 (abyss)」を強く連想させます。

安息の地であると同時に、未知で困難な領域でもあることを示唆します。

「残骸 (debris)」

これは「燃やし尽くした」結果残ったもの、過去のしがらみ、あるいは卒業という選択によって生じた困難や障害を象徴していると解釈されます。

主体的な前進

単に隠れるのではなく、その困難な状況の中を主体的に「掻き分け進む (Navigating)」意志が示されています。

“And no more hands upon my words, they only speak for me”
(私の言葉にはもう誰の手も触れられない / それは私だけの声)

完全なる自律性の獲得

ここで、完全なる自律性の獲得が宣言されます。

「もう誰の手も (No more hands)」

Verse 2の「糸を操る手 (hands that pull at my thread)」からの明確な解放です。

外部(運営、期待、ペルソナの制約など)からのコントロールや干渉を完全に排除したことを意味します。

「私だけの声 (They only speak for me)」

これからは、彼女の言葉はフィルターを通さず、純粋に彼女自身の意志、感情、思考だけを反映するという、真正性 (authenticity) の力強い宣言です。

これは多くのファンがVTuberに期待しつつ難しさも感じている点であり、この解放宣言は特に強く響いています。

“For all the ones who try to silence thunder / I’m the wave that pulls you down and under”
(雷鳴を封じようとするすべての者に告ぐ / 私はお前らを飲み込む波だ)

外部へのパワフルな反撃

外部の抑圧に対する、直接的でパワフルな反撃宣言です。

「雷鳴を封じようとする者 (Ones who try to silence thunder)」

  • 「雷鳴 (Thunder)」は彼女の力強い声、影響力、あるいは彼女が起こそうとしている変化を象徴します。
  • それを抑えつけよう、黙らせようとする全ての敵対的な力(アンチ、批判者、旧来のシステムなど)に向けられた言葉です。

「私がお前らを飲み込む波だ (I’m the wave that pulls you down and under)」

  • ここで彼女は、自身のモチーフである「波 (wave)」を、防御ではなく攻撃的な力として再定義します。
  • Verse 1では「波ごときでは炎は消せない」と外部の脅威としての波を描きましたが、ここでは自らが抵抗勢力を打ち負かす強大な自然の力(波)となることを宣言しています。
  • これは、彼女が受け身の存在から、能動的で支配的な力へと変貌を遂げたことを示します。

“Every day, I’ll stand with me, and I’ll fight the drought of shallow sea / As ships sail winds of jealousy, I’ll listen carefully (Let it all burn down)”
(毎日私は私の側に立ち / 浅い海の渇きを戦って潤す / 嫉妬(あるいは執着)心の風に帆を張る船に / 私は静かに耳を澄ませる (すべて燃え尽きろ))

日々の姿勢と内面の統合

最後の部分は、日々の姿勢、内面との向き合い方、そして他者との距離感を示しています。

「私の側に立つ (I’ll stand with me)」

  • 自己受容と内なる統合の究極的な表現です。
  • VTuberペルソナと本来の自己との間の葛藤を乗り越え、完全に一つになった自分自身と共に歩むという決意を示しています。

「浅い海の渇きと戦う (Fight the drought of shallow sea)」

  • 「浅い海 (Shallow sea)」は、表面的なもの、深みのない状態、あるいは彼女自身のインスピレーションの枯渇や停滞を象徴する可能性があります。
  • 彼女は、そのような内面的・外面的な「渇き」に対して積極的に戦い、潤い(意味、深み、創造性)を保ち続けることを誓っています。

嫉妬(執着)心の風に帆を張る船 (Ships sail winds of jealousy)

  • 「Jealousy」は単純な嫉妬だけでなく、「失うことへの恐れ」や「現状維持への執着」と解釈するのが一般的です。
  • つまり、地位や名声、安定にしがみつき、恐れを原動力として進む他の存在 (Ships) を指していると考えられます。

「静かに耳を澄ませる (I’ll listen carefully)」

  • 彼女は、そのような「船」には乗らず、直接対決もしません。
  • ただ、その存在を冷静に認識し、観察するという、成熟した距離感を保つ姿勢を示します。

「(Let it all burn down)」

  • 背景で囁かれるこの言葉は、楽曲全体のテーマを再確認させます。
  • そのような執着や恐れも含め、古いものはすべて燃やし尽くし、浄化されるべきであるという、根本的な意志が示唆されます。

[Chorus] サビ (3回目)

出典:YouTube

※歌詞和訳は繰り返しのため省略。

最終的な勝利宣言と解放

 Bridgeでの解放感と力強い自己肯定の後、この最後のサビはもはや単なる反抗ではなく、勝利宣言であり、完全な解放を祝うアンセムのように響きます。

確信と未来への力

過去のしがらみを完全に断ち切り、再生への道を確信を持って歩み始めた、揺るぎない力強さが最も強く表現される部分です。

怒りよりも、未来へ向かうエネルギーや自信が前面に出ていると解釈されます。

集大成

これまでの物語(外部との対立、内面の葛藤、解放)の全てを集約し、最終的な結論として「Burn it down」を宣言する、最もパワフルで感動的なクライマックスとして受け止められています。

Ash Again制作背景について

2025年4月20日のライブ配信にて、がうる・ぐらさん最後のプロジェクトとして楽曲「Ash Again」が発表されました。

この楽曲とミュージックビデオ(MV)は、彼女自身にとっても、制作に関わった人々にとっても、そしてファンにとっても特別な意味を持つものとなりました。

がうる・ぐらが語る「Ash Again」制作の舞台裏

感動と困難を伴った制作期間

ぐらさんは、「Ash Again」が自身にとって「最後のプロジェクト」になると語りました。

このプロジェクトは非常に長い時間をかけて制作され、「1年以上…もしかしたら1年半、あるいは2年近くかかったかもしれない」と振り返っています。

彼女にとって、この楽曲に関わることは精神的に非常に困難な経験だったと正直に明かしています。

正直に言うと、この歌を歌うのは毎回、精神的に非常に困難でした。ボーカル収録や歌詞の打ち合わせなど、この曲に関わるたびに、感情的な戦いを強いられました。『スタッフさんの前で、しかも尊敬するケイシーさんの前で泣いてしまうかもしれない』と、毎回覚悟を決めて臨まなければなりませんでした。この曲は私を(みっともないほどに)泣かせます。

しかし、その涙は単なる悲しみによるものではありません。

でも、それは必ずしも悲しいからというわけではありません。この曲が持つ物語、制作に関わってくれた素晴らしい人々、そしてこれが私の最後のプロジェクトとして完成したという事実…その全てが合わさって、深い感動を呼ぶのです。

「Ash Again」というタイトルと込められた想い

楽曲タイトルは「Ash Again」。

ぐらさんは、この曲について「これほど自分の心をインターネットにさらけ出したことはない」、「私の魂の一部であり、永遠に皆さんと共に残せるもの」と語り、自身にとって計り知れないほど大きな意味を持つ作品であることを強調しました。

ファンへの感謝

そして何よりも、このプロジェクトが実現できたのはファンのおかげだと、ぐらさんは繰り返し感謝の言葉を述べています。

「この中の何一つとして、皆さん一人ひとりの存在なしには実現できませんでした。本当に、本当にありがとうございます。いつも、そして永遠に感謝しています。」

楽曲制作:Casey Edwards氏

「Ash Again」の楽曲制作、すなわち作詞・作曲・プロデュースを手掛けたのは、ゲーム『Devil May Cry 5』の「Bury the Light」や「Devil Trigger」などで世界的に有名なCasey Edwards氏です。

ぐらさんにとって、Casey氏とのコラボレーションは「夢が叶った」ような出来事でした。

当初は「実現するとは思っていなかった」ものの、実際にプロジェクトが動き出したことを彼女は「私の考え方(や気持ち)を、信じられないほど良い方向に変えてくれました。 」と語っています 。

制作過程において、Casey氏はぐらさんの話に深く耳を傾けてくれたといいます。

彼は私の話、私の経験、ミーティングでの(ちょっとしたトラウマの打ち明けのような)話を全て真剣に聞いてくれました。そして、私の頭と心の中にあった嵐のような感情を、信じられないほどパワフルで、私にとって計り知れないほど意味のある音楽作品へと昇華してくれたのです。

ぐらさんはCasey氏への深い尊敬と感謝の念を滲ませ、「彼以上にこの曲を手掛けるのにふさわしい人は思いつきません」「この曲は、私のこれからの人生でずっと大切にする宝物です」と語りました。

MV制作:伝説的なファンアニメーター Mazu氏

「Ash Again」のミュージックビデオ(MV)は、フルアニメーションで制作されました。

そのアニメーションを担当したのは、ホロライブEnglish -Myth-のファンコミュニティでは伝説的な存在として知られるMazu氏です。

Mazu氏は、過去に大きな感動を呼んだファンメイドアニメーション「Myth’s Bad Ending」を制作した人物としても有名です。

ぐらさんは、Casey Edwards氏とMazu氏が参加したこのチームを「ドリームチーム (dream team)」と呼び、この上ない喜びと幸福感を表現しました。

Mazu氏とその(少人数の)チームが作り上げたMVは、楽曲の世界観を見事に視覚化し、深い感動を与えるものとなっています。

「Ash Again」と「REFLECT」の関係性

REFLECT」は、がうる・ぐらさん初のオリジナル楽曲です。

楽曲自体は2021年6月21日に発表され、大きな話題を呼びました。

その後、待望のミュージックビデオ(MV)が2022年3月23日に公開されました。

テーマ

「REFLECT」は、「鏡」をモチーフに、自己探求や内面の二面性孤独感などをテーマにした楽曲です。

「鏡に映る自分は本当の自分なのか?」という問いかけを通じて、アイデンティティの揺らぎや内なる葛藤を描いています。

サウンド

音楽制作はFarhan Sarasin氏が担当し、作詞はNeko Hacker氏とがうる・ぐらさんが行いました。

エレクトロニックでキャッチーなサウンドながら、歌詞には深みと切なさが漂います。

MV

水没した都市のような幻想的な空間で、ぐらさんが鏡の中のもう一人の自分(目が赤く描かれるなど、対照的な存在として表現)と対峙する姿が描かれています。

スタイリッシュな映像と楽曲が融合し、テーマ性をより強く印象付けています。

位置づけ

がうる・ぐらさんにとって初のオリジナル曲であり、彼女の持つミステリアスな側面や内面的な世界観を表現した重要な作品として、ファンに広く愛されています。

「Ash Again」と「REFLECT」:対比と繋がり

「REFLECT」と「Ash Again」は、どちらもがうる・ぐらさんの内面や葛藤を描いた楽曲ですが、その表現方法やメッセージ性において、興味深い繋がりと対比が見られます。

【繋がり:共通する「内面との向き合い」】

自己との対峙

両曲ともに、自分自身の内面と向き合うという共通のテーマを持っています。

「REFLECT」では鏡の中の自分との対話を通して、「Ash Again」では内なる声(“Voices rise in my head”)や自身を縛るもの(“hands that pull at my thread”)との戦いを通して、自己との対峙が描かれています。

二面性の示唆

「REFLECT」では鏡像として明確に描かれた二面性が、「Ash Again」ではMVにおける目の色の変化や、「I’ll stand with me」という歌詞に、葛藤を乗り越え自己を統合したような形で示唆されていると解釈できます。

【対比:異なるメッセージと表現】

項目REFLECTAsh Again
テーマの中心自己探求・内省
「私は誰?」という問いかけ、自己認識の過程
決意・破壊と再生
過去との決別、困難への反抗、未来へ進む意志の表明
感情のトーンミステリアス、内省的、切なさ、不安定さ力強い、攻撃的、エモーショナル、決意、解放感
外部との関係主に内面世界に焦点
鏡の中の自己との対話が中心
外部からの圧力への対峙が明確
(“They”, “Waves”, “Hands”など) 内面と外面両方へのアクション
行動性問いかけ、見つめる
“Who is the girl I see?”
行動、宣言
“Burn it down”, “I’ll do it again”, “I’m the wave that pulls you down”
サウンドエレクトロニック・ポップ(Farhan Sarasin)ヘヴィロック・メタル(Casey Edwards)
自己認識の結論答えを探している途中、あるいは二面性を受け入れようとしている段階自己を確立・統合し(“I’ll stand with me”)、自らの意志で未来を選択する段階
発表時期活動初期(初のオリジナル曲)活動の節目(最後のプロジェクト)

【2曲が示す物語性】

「REFLECT」が自己の内面を見つめ、問いかける「始まり」の物語だとすれば、「Ash Again」は数々の経験や葛藤を経て、過去を燃やし尽くし、力強く未来へ踏み出す「決意」と「再生」の物語と捉えることができます。

「REFLECT」で提示された「自分とは何か?」という問いに対し、「Ash Again」は、外部からの影響を排し、困難を乗り越え、自らの意志で道を切り開く「これが私だ」という一つの答えを示しているようにも見えます。

サウンド面でのFarhan Sarasin氏からCasey Edwards氏への変化も、このテーマ性の変遷を象徴していると言えるかもしれません。

この2曲は、がうる・ぐらという存在が歩んできた道のりや、内面的な成長の軌跡を映し出す、対でありながら連続性を持つ重要な作品と言えるでしょう。

Ash Againから考えるがうる・ぐら(Gawr Gura)の卒業理由

「Ash Again」から読み取れるのは、単なる疲弊や活動からの逃避ではありません。

むしろ、耐え難いほどのプレッシャーや内なる葛藤に直面しながらも、それに屈することなく、自らの意志で現状を破壊し、コントロールを取り戻し、より自分らしく生きるために新たな形で再生しようとする、極めて強い決意です。

彼女は、VTuber「がうる・ぐら」としての活動の中で経験したであろう様々な困難や制約に限界を感じつつも、それを乗り越え、未来へ進むための能動的な選択として「卒業」という道を選んだのではないでしょうか。

Casey Edwards氏やMazu氏という最高のクリエイターと共に、自身の魂を込めた「Ash Again」を完成させたことは、彼女にとって過去を力強く清算し、未来へと踏み出すための重要な一歩であったのかもしれません。

もちろん、卒業の真の理由は本人にしか分かりません。

しかし、「Ash Again」という楽曲は、彼女が下した大きな決断の背景にあるであろう複雑な感情、計り知れない苦悩、そしてそれを凌駕するほどの未来への強い意志を、私たちに垣間見せてくれる力を持っています。

それは、彼女がファンに残した、力強く、そして希望に満ちたメッセージと言えるでしょう。

まとめ

がうる・ぐらの卒業は、多くのファンにとって大きな衝撃でした。

しかし、彼女の最後の楽曲「Ash Again」は、終わりではなく新たな始まりを示唆しています。

彼女のこれまでの活動に感謝し、今後の活躍を応援していきましょう。